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宇多田ヒカルの才能が凄すぎる!母は謎の転落死?!2度の離婚も調査【画像有】

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先日、新春のスペシャル番組「マツコの知らない世界・スペシャル」に出演さ有れた、シンガー・ソングライター宇多田ヒカルさん。

しばらく語れることのなかった、昭和を代表する歌姫で母親「藤圭子さん」の話をされていましたね。なんでも、宇多田ヒカルさんはお母様の影響で「時代劇」が好きになったのだとか。

「時代劇」が好きだったという、お母様の話を番組MCのマツコ・デラックスさんがすると、その理由を「(時代劇の中でも)白黒はっきりと、善悪が分かる(内容)が好きだった。」と語られ、お母様の話題をされました。

懐かしそうに、お母様の話をされる宇多田ヒカルに、少し安心したファンの方も多いのではないかと思います。 様々な憶測が流れる、亡くなった宇多田ヒカルさんのお母様「藤圭子」さんの死因。

小さい頃から、お母様の「精神崩壊」を見てきたという宇多田ヒカルさん。 お母様は、宇多田ヒカルさんの幼少の頃から、病に苦しんでいたようです。

今回、宇多田ヒカルさんの軌跡と共に、大きな影響を与えた彼女のお母様「藤圭子」さんの半生を振り返ってみたいと思います。 最後まで、お付き合いいただければ幸いです。

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宇多田ヒカルの才能が凄すぎる!ウィキ的プロフィールから

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  • 生年月日:1983年1月19日生まれ。宇多田照實さん・藤圭子さん夫妻の娘としてアメリカのニューヨークで誕生。
  • 幼少時から両親の音楽の英才教育を受ける、すでに5歳の時点で歌手を目指す。
  • 1997年、東京でレコーディング時、当時の東芝EMIの関係者にスカウト。
  • 1998年末、わずか15歳でCDデビューされました。当初は正体を隠して活動。
  • 身長は、病院で正確に測ったところ、158.9 cm。2017年3月に出演したラジオ番組内でプロフィールの更新を求めた

宇多田ヒカルさんの、1998年デビュー曲「Automatic」は知らない人がいないという位に有名な曲ですが、当時は自分の出生を隠していた「宇多田ヒカルさんが、藤圭子さんの娘」と分かると、その人気はさらに社会現象とも言われるほどになり「天才少女」の名を欲しいままにしました。

翌年、1999年発売されたファースト・アルバムの『First Love』は累計売上枚数は、なんと765万枚超えで、日本国内の歴代アルバムセールス1位は、いまだに破られることなく金字塔となっています。

また、セカンド・アルバムとなる『Distance』は、初週売上枚数の歴代1位「300万枚」を記録!さらに、2007年発表「Flavor Of Life」で、当時デジタル・シングルセールスで世界1位の快挙を達成しているんです!

その後、敗れた記録もありますが「ファーストアルバム『First Love』の累計売上枚数765万枚」は、音楽配信が一般的となった現代では、2度と破られることはない記録だと言われています。

宇多田ヒカルの才能が凄すぎる!2度の離婚とは?

一度目の結婚は、2002年

 

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宇多田ヒカルさんの、一度目のご結婚は2002年、映画監督で写真家の紀里谷和明さん。しかし、結婚生活5年となる2007年に離婚されています。

お二人の出会いは、2000年に出したアルバム『Distance』の撮影でした。

この時、宇多田ヒカル離婚理由として

「創造の厳しさ、苦しさ、孤独をお互い抱えたまま、相手に甘える事が最後まで出来なかったと思う」

と話されています。

また、旦那様の紀里谷和明さんは

「好きになるのに理由がないように別れることにも理由はない。気持ちのことだから、何ひとつ解析できないんですよ。解析できたら解決するもん結局、彼女は若すぎた。俺は未熟だった。」

と語っています。

才能あふれる宇多田ヒカルでも、やはり夫に甘えたかったのではないかと思います。お二人の結婚は、結局4年半で離婚のピリオドを打っています。

2度目の結婚は、2014年、最悪のイタリア人男性と?

宇多田ヒカルさんの、2度目のご結婚は2014年5月。高級ホテルブルガリのバーテンダー、イタリア人のフランチェスコ・カリアーノさんと再婚されました。

カリアーノさんが働いてたバーに、宇多田ヒカルさんが偶然立ち寄ったのが、きっかけだそうです。再婚当時、宇多田ヒカルさんは母親の藤圭子さんの死に直面し、その心のすき間を埋めてくれたのがフランチェスコ・カリアーノさんだと言われています。

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フランチェスコ・カリアーノさんは、宇多田ヒカルさんの8歳年下。2015年7月には、ご長男が生まれ
当初は、幸せな結婚生活を迎えて安心したファンの方も多かったのではないでしょうか。

しかし、この再婚した夫であるフランチェスコ・カリアーノさんには悪い噂しかありません。

宇多田ヒカルさんとの結婚後、夫であるフランチェスコ・カリアーノさんは無職になるのです。 原因は、宇多田ヒカルさんとの結婚式で、フランチェスコさんが会社に休暇を申請したら、許可がおりなかったからだとか、、、。

宇多田ヒカルさんは、若くして富を築かれていますから、問題ないのかも知れません。宇多田ヒカルさん自身も

『私が男性に求める条件の最下位が男の収入』

と言われていました。

しかし、無職であるはずの元夫のSNS写真には、イタリアのスーパーカー「フェラーリ」の写真が掲載されたり、また噂ではフランチェスコ・カリアーノさんは、金遣いも荒くなっていき、なんと「女遊び」までするようになってしまったそうです。

あくまでも、噂の範囲を超えませんが、元夫フランチェスコ・カリアーノさんと離婚していたことが2018年4月に明らかになります。

また一説によると、離婚原因は、

「宇多田が南イタリアの濃密なファミリー関係に耐えられない」

「紀里谷和明の時にもあったように、べたべたしたファミリー環境は苦手そう」

という説もありました。

宇多田ヒカルの才能が凄すぎる!母親・藤圭子の経歴と死因

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今見ても、なんて美しい人なんだ!と思ってしまいます。宇多田ヒカルさんの、お母様「藤圭子」さんは1960年代から1970年代にかけて「新宿の女」「女のブルース」など数々のヒット曲で一躍有名歌手になりました。

藤圭子さんは、1951年7月5日に岩手県で生まれました。 宇多田ヒカルさんのお父様で、夫の宇多田照實(うただてるざね)さんとは1982年に再婚、翌年1983年に宇多田ヒカルさんを出産しています。 藤圭子さんは、宇多田照實さんとは再婚で、最初の結婚は、歌手の前川清さんでした!

藤圭子さんは、宇多田ヒカルさん5歳の頃に精神的な病にかかり、宇多田ヒカルさんが15歳で歌手デビューしてからは、歌手活動から引退されたそうです。

藤圭子さんは、2013年8月22日にマンションから転落して死亡しているのが発見されました。藤圭子さんは、62歳でした。

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藤圭子さんの、遺言書に葬儀は行わないでという要望があったらしく家族葬という形となりました。実は、藤圭子さん、夫の宇多田照實さんと7回も離婚・再婚を繰り返していたそうです。藤圭子さんは精神的に不安定な状態であったと思われました。

様々な憶測が流れる中、宇多田ヒカルさんは、母・藤圭子さんへの思いを公式サイトで発表します。以下がそのコメントです。

様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。

彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。

幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。

症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。

私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。

母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。

誤解されることの多い彼女でしたが…

とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。

悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。

母の娘であることを誇りに思います。

彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました。

衝動的に飛び降りてしまったか、自殺であったかは分かりませんが、藤圭子さんが負っていた長年の苦しみから解放されたのだという思いが伝わってきますね。

まとめ

「《涙色の花束を君に》……、新曲の歌詞を聞いたとき、私の目に浮かんだのは、あの密葬の日、花束を抱え悄然とたたずむヒカルの姿でした」 そう語るのは、宇多田ヒカル(33)を昔から知る音楽関係者。

「《涙色の花束を君に》……、新曲の歌詞を聞いたとき、私の目に浮かんだのは、あの密葬の日、花束を抱え悄然とたたずむヒカルの姿でした」 そう語るのは、宇多田ヒカル(33)を昔から知る音楽関係者。

宇多田ヒカルさんの作品には、彼女の魂の叫びの様な物を感じます。 また、彼女が歩んできた人生は現在の、素晴らしい楽曲、彼女の歌声の源になっているのだと改めて感じました。宇多田ヒカルさん自身も、結婚、出産を経験後以下の様に語っています。

《活動休止中に自分の発声方法を見直せたし、妊娠をきっかけに前より健康的な生活習慣も身についたし、赤ん坊に毎日、日本の童謡を歌ってるうちに日本語を丁寧に伸びやかに発声する癖がついたのかもしれねーな》

また、亡き母に送った様々な作品は、人々の涙を誘う名曲も多く特に「5年ぶりに、本格的に歌手活動の再始動、朝ドラ『とと姉ちゃん』主題歌として作った『花束を君に』」は、あきらかに変化した宇多田ヒカルさんの歌声が評判になりました。

母の死を乗り越え、活躍される宇多田ヒカルさん。 また新しい情報が入り次第、当ブログでも報告したいと思います。 最後までお読みいただき有難うございました!

 

 

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