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織田信成モラハラ、監督就任時発言と、意外なコーチ復帰人事

スポーツニュース
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スケート解説者として、またテレビタレントとしても大活躍中の織田信成さん。9月初旬に出身校でもある関西大学アイススケート部の監督兼コーチを辞任された事が発表されていました。しかし今回、辞任は関西大学側が一方的に決定、発表したものだという織田信成さんの反論が報道されました。

関西大学スケート部と言えば織田信成さんをはじめ数々の名選手、オリンピック代表選手を輩出した名門。どうして今回の様な対立が生まれたのでしょうか?調べてみると、織田信成さんが監督就任された理由と、辞任された理由、後任人事にも大学側への疑問が出てきましたので報告したいと思います。

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反論報道のきっかけは、9月初旬の関西大学側の辞任発表が原因

きっかけとなったのは、9月初旬の大学側発表による下記、織田信成さん退任のニュースでした。

関西大学アイススケート部監督兼コーチの織田信成さん(32=15年文院修了)が、9月9日付で監督とコーチを退任した。同大が同日、発表した。監督の後任は未定。関西大学は、取材に「織田さんが多忙な中で、学生を指導する時間が取れないという事でやむなく退任となりました。慰留はしましたが、織田さんは春先から悩んでおり、大学側と話し合いの場が設けられ、今日付で退任という結論に至りました。」と説明。あくまでプロスケーターやタレントとして活躍する織田さんの多忙が理由とした。 報道各社に宛てた文書で、関西大学は「2017年4月の着任以降、後進の育成に多大なるお力添えをいただきました。大変残念ではありますが、今後も本学フィギュアスケート関係でご指導、ご鞭撻を賜る機会があることと存じます」などとした。同部部員や大学関係者も驚いた電撃退任。学生時代から慣れ親しんだ関大のリンクに、織田さんはひとつの区切りをつけた。

ブームスポーツ編集局 – 2019年9月9日

この時、織田信成さんからの説明はなくメディア登場機会の多い織田さんの説明が無い事に不思議に思われたかも多かったと思います。この間も、織田信成さんは大学側との対応について協議をされていた様で、何とか穏便に解決しようとされていたようです。

しかしながら、半月以上たっても満足のいく結果が得られなかったのでしょう。昨日、自身のブログで今回の件に対する憤りを、以下のように綴られています。

Amebaブログより関西大学アイススケート部監督辞任について( 2019-09-29 10:02:05 )

応援して下さるスケートファンの皆様、 スケート関係者の皆様へ 本当は楽しい事を書くこの場で、またこの時期にこのようなご報告をしなければならない事をどうかお許し下さい。 関西大学アイススケート部監督辞任について、一部事実とは異なる報道がありましたので、自分の口から説明させて下さい。 多忙を理由に監督を辞任したわけではなく、また関西大学との話し合いの場で「多忙で監督として十分な時間が取れない」とは一言も話していません。 辞めた本当の理由は、リンク内で私に対して嫌がらせやモラハラ行為があり、その影響で今年春頃から体調を崩すようになり、辞任するまでの3ヶ月間リンクに行く事が出来なくなった事とそれに対する関西大学の対応が誠意あるものに思えなかったからです。 今回の件で、7月に弁護士の方もふまえて関西大学と話し合いを行いました。 関西大学が調べて報告をあげるという事で結論に至り、そこから2ヶ月待ちましたが、誰がどのように調べているのかわからず、また結果報告もありませんでした。 報告を待っている間も指導を待っている生徒がいるので、なんとかリンクに戻れる環境にしてくれないかお願いしましたが、実施されないまま、このままでは何も変わらないだろうと半ば諦めた気持ちで、監督の職を辞する決意を致しました。 他の仕事への影響もあり、体調が優れないまま監督を続ける事は私にとって厳しいものでした。 関西大学が私に対して引き続き指導を頼んだ旨の記事がありましたが、そのような事はなく、辞める時は大学側に辞意を伝えるとすぐに承諾されました。現役時代にはリンクまで建設して頂き大変お世話になったので、最後に学長への謁見を希望し辞意を伝えたいとお願いしましたが、その時は1ヶ月先まで学長のスケジュールが埋まっていて忙しいという理由で、直接会わずに辞めてもらって良いとの事でした。 またどんな理由を言って辞めても嘘になるので、前向きな言葉だけで終わらせてほしいとお願いもしましたが、大学側から「あくまで多忙が理由」と証言する記事が出ました。 指導者としての夢もあり何とかリンクに復帰できないか本気で思い悩んでいたので、このような対応はただただ悲しく辛いものでした。この件について公表する予定はありませんでしたが、辞任してから事実とは違う内容が関西大学側から発表され、精神的に耐えられず、今回自分の口で説明する事となりました。 途中で職務を投げ出す形になり、本当に申し訳なく思っています。どんな状況でもスケートを教える事がすごく楽しかったので、自分がもっと強くいられればきっとこんな風にはならなかったのだと反省しています。人前で笑う事が辛く感じる時期もありましたが、今は家族との時間を多く取り、他のお仕事をする事で精神的にも安定してきました。13年間、お世話になった関西大学たかつきアイスアリーナを去る事は大きな決断でしたが、指導者としての夢はまだ諦めていないので、オファーがあれば何処へでも行って指導できればと思います。

https://ameblo.jp/oda-nobunari/entry-12531037667.html

責任感の強い織田信成さん、自分の意志で途中で投げ出したと報道された事が、よほど悔しかった事が伝わってきますね。

関西大学スケート部出身の顔ぶれが、あまりにもスゴイ!

ご存じの方も多いと思いますが、関西大学スケート部は名門中の名門、出身者はそうそうたる顔ぶれです。下記一例をあげます。

関西大学出身のフィギュアスケート選手

・須本光希(すもと みつき) 人物… 2001年2月4日生まれ。2015年世界ジュニア選手権男子シングル銅メダル。 学歴… 浪速高校を卒業→関西大学政策創造学部に在学

・宮原知子(みやはら さとこ) 人物… 1998年3月26日生まれ。2016年四大陸選手権女子シングル金メダル。 学歴… 関西大学高等部を卒業→関西大学文学部に在学

・町田樹(まちだ たつき) 人物… 1990年3月9日生まれ。2014年世界選手権男子シングル銀メダル。 学歴… 倉敷翠松高校を卒業→関西大学文学部総合人文学科を卒業→早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程を修了→早稲田大学大学院博士課程に入学

・澤田亜紀(さわだ あき) 人物… 1988年10月7日生まれ。2005年JGPファイナル女子シングル銀メダル 学歴… 関西大学文学部身体運動文化専修を卒業

・織田信成(おだ のぶなり) 人物… 1987年3月25日生まれ。2006年四大陸選手権男子シングル金メダル 学歴… 大阪府立阿武野高校を卒業→関西大学文学部英語英文学専修を卒業→関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修博士前期課程を修了

・高橋大輔(たかはし だいすけ) 人物… 1986年3月16日生まれ。バンクーバー五輪男子シングル銅メダル、2010年世界選手権男子シングル金メダル 学歴… 倉敷翠松高校を卒業→関西大学文学部総合人文学科身体運動文化専修を卒業→関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修を中退

有名な選手だけでも、この顔ぶれです。もちろん、歴代の監督やコーチなどをあげるとキリが無い程有名な方揃いです。

織田信成さんが監督になったきっかけ、前任監督はあの有名監督

織田信成さんが関西大学スケート部の監督になられたのは、2017年の4月1日からになります。前年の年末に、同大学の芝井敬司学長から直々に「織田くんは周囲の人を明るく笑顔にさせるたぐいまれな素質がある。笑いと喜びを振りまいて欲しい」と監督就任を打診されたそうです。

織田さんは、一度辞退されたらしいのですが、学長の熱意にも押され母校での後輩育成を決意されたとの事。前監督は、あの高橋大輔さんを育て有名になった長光歌子さんです。同校の監督任期は2年間で、原則3期6年までは更新できる契約となっていました。

織田信成さんは、タレントや解説者としての活動の2足のわらじについて聞かれると「スケート部が拠点とする高槻キャンパスの関西大学たかつきアイスアリーナに週5日、タレント活動や解説の仕事を週2日に集約」されると話されています。

また、すごいなと思ったのは「部の遠征費などの手当は支給されるが、監督としては無給。」という事実。当時同校には、平昌五輪を目指す同部の宮原知子さん(19歳・当時)、また関大高等部1年には本田真凜さん(15歳・当時)が中高スケート部に所属されていました。

この時、抱負を語った織田さん。「(スケート部の生徒達と)毎日顔を合わせて仲良くやっています。和やかな雰囲気、そして世界に羽ばたく強い関西大学なんだって胸張って言えるようなスケート部にしたいと思っています。不安は…この監督大丈夫なんか?と思われることくらいです。」と名門スケート部を率いる重責を、笑顔で話されていました。

週に5日間も、監督として働きしかも無給とは、、、こんな素晴らしい監督を解任した大学側にだんだん腹がたってきます。

後任監督がいないという不思議、辞任後のコーチに意外な人物

不思議なのは、名門スケート部に監督の後任は未定であるという事です。織田信成さんは、長光歌子さんという素晴らしい監督の後任であったのに、今回大学は監督代行しか任命しませんでした。学長補佐の岡田忠克さん(人間健康学部教授・49歳)が監督代行を務めるそうです。

やはり、大学側が急遽、織田信成さんを解任したのではないかと言われる原因の一つこれです。また不思議なのは織田信成さんのお母様、織田憲子さん(72歳)が後任コーチとして同部に復帰される事でした。

織田憲子さん自身は優れた指導者ですので異論はないと思いますが、やはり今回の内容からすると、なぜ今、お母様が復帰なの?と思ってしまいます。

まとめ

名門スケート部で何があったのか、本日の段階では分かりませんが織田信成さんの発言を受けて色々な憶測がされています。明るいイメージの織田さん、今回の件でまた体を壊したりしないか心配です。

数々の有名選手を輩出している関西大学スケート部と、織田信成さんの一日でも早い問題解決に期待したいところですね。

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