【一つの時代が終焉】スバル「レガシィ」米国生産終了へ—日米で辿った歴史と、スバルが描く未来
2025年9月12日、米国インディアナ州に位置する**スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ(SIA)**の生産ラインから、「最後のレガシィ」となるセダンがラインオフされました。これにより、1989年の誕生以来、長きにわたりスバル(当時は富士重工業)を象徴する存在であり続けたレガシィの歴史は、その源流である日本と、主要市場である米国の両方で、一つの時代に区切りをつけました。
この歴史的な瞬間は、市場の変化と電動化という、自動車産業全体の巨大な潮流を明確に映し出しています。
日本と米国で分かれた「レガシィ」の道のり
スバルにとって「レガシィ」は、単なる一車種以上の意味を持つモデルです。
経営危機を救った日本の救世主
初代レガシィは、水平対向エンジンとAWD(シンメトリカルAWD)を組み合わせた卓越した走行性能と、スタイリッシュなデザインで絶大な人気を博し、当時のスバルの経営危機を救った救世主として知られています。
特に「レガシィ ツーリングワゴン」は、その万能性と高い走行性能により、日本のステーションワゴン市場を強力に牽引しました。その影響力は他社にも波及し、日本の自動車文化に深く根付くモデルとなりました。
しかし、市場のニーズがセダンやワゴンからSUVへと移行する中で、レガシィはその役割を徐々に後継モデルへと引き継ぎます。
- 2014年:ツーリングワゴンの後継として、日本市場に最適化された**「レヴォーグ」**が登場。
- 2020年:セダン市場の縮小を受け、**「レガシィ B4」**が販売終了。
- 2025年3月:SUVラインナップの再編を理由に**「レガシィ アウトバック」**が販売終了。
これにより、日本では「レガシィ」の名を冠するすべてのモデルが姿を消し、スバルの乗用車として最も長く続いた歴史ある車名が静かに幕を閉じました。当時のスバルは、セダンについては「日本の市場の厳しさから、導入の判断ができなかった」とし、アウトバックについては「日本市場に適した小型の**『レヴォーグ レイバック』**を発売し、役目を果たした」と、その背景を説明しています。
米国では「初の米国製スバル車」として独自の進化
一方、米国市場におけるレガシィは、「初の米国製スバル車」として特別な意味を持ちました。デビュー以来、米国で販売される全てのレガシィはSIAで生産され、累計約140万台という販売実績がその成功を物語っています。
米国ではセダンとクロスオーバーSUVの**「アウトバック」**が独自の進化を遂げました。特にセダンは、2022年の大幅改良で大胆なフロントフェイスや2.4リッターターボエンジンを搭載した「スポーツ」グレードを投入するなど、積極的に商品力の強化が図られていました。
ここで重要なのは、米国ではクロスオーバーモデルが比較的早い段階で**「レガシィ」の名を外し、「アウトバック」という独立した車種**として強固なブランドを確立していた点です。
生産終了の背景と、新たな時代の始まり
今回のSIAにおけるセダンの生産終了は、米国市場から**「レガシィ」というブランドが完全に消滅**することを意味します。
しかし、日米で異なる歴史を歩んだレガシィですが、その生産終了の背景にある理由は共通しています。
SIAが公式に説明しているように、それは「乗用車からSUVやクロスオーバーへの市場の移行と、スバルの電動化への移行」という、避けられない自動車業界全体の大きな潮流を反映したものです。
SIAのスコット・ブランド社長は、最後のレガシィのラインオフに際し、以下の力強いメッセージを寄せました。
「我々の歴史における重要な一章が幕を閉じましたが、我々はすでにページをめくり、新たな一章を始めています」
レガシィがスバルを支え、切り開いた道は、すでに登場しているレヴォーグやクロストレック、そして今後登場が期待される電動化モデルへと確かに受け継がれていきます。歴史ある名車の功績を土台として、スバルは次世代のモビリティ社会に向けた新たな歴史を紡いでいくことになるでしょう。
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