平成最後となる昨年の「紅白歌合戦」、絶対にテレビに出ないと言われていた「米津玄師」さんの出場は日本中の音楽ファンから驚きを持って歓迎されました。 今年は「令和初」となる「紅白歌合戦」NHKも万全を期して「米津玄師」さんの出演オファーを願っていたようです。
実は、米津玄師さんが手がけた「パプリカ」の大ヒットで注目の「Foorin」さん、同じく米津玄師さんの友人で、楽曲提供も受けている「菅田将暉」さんの「紅白初出場」を決めたのは、NHKが、米津玄師さんに「紅白出場」するための布石とも言われています。
米津玄師さんは、昨年3月リリース『Lemon』がビルボード「2年連続1位」の快挙など話題のシンガーソングライター。NHKとしては是非とも紅白歌合戦に出演させたかったと伝えられています。
「NEWSポストセブン」などでは、「あいみょん」さん、「米津玄師」さんの「紅白出場辞退」について以下のに、「NHK・紅白歌合戦」の拘束時間の長さではないかと報道しています。
しかし、米津玄師さんが令和初となる「記念すべき紅白歌合戦」に出ないのは、もっと別の理由があると言われています。 それは、今年の春亡くなった米津玄師さんの戦友ともいえるミュージシャンの死が関係していると言うのです。
調べてみると、米津玄師さんの戦友ともいえるミュージシャンとは「バンド、『ヒトリエ』のメンバーで、ボカロP(ボーカロイド使用する音楽プロデューサー)としても活躍した『wowaka(ヲワカ)』さんだったのです。
今回、米津玄師さんの戦友とも言われるwowaka(ヲワカ)さんについて調べてみましたので報告したいと思います。 最後までお付き合いの程、よろしくお願いいたします。
米津玄師「紅白に出ない理由(ワケ)」?!wowaka(ヲワカ)とは?
VOCALOID(ボーカロイド)いわいる「ボカロ」のファンからすると、『wowaka』さんは「アンノウンマザーグース」の人というイメージが強いのではないかと思います。しかし、『wowaka』さんは「ボカロ」では伝説的人物なのです。
米津玄師さん自身も、wowakaさんに多くの影響を受け、またとても尊敬しているとおっしゃっています。
米津玄師さんは、以前VOCALOID(ボーカロイド)プレーヤーの『ハチ』として活躍されていましたが、その時にのインタビューのさい『注目しているボーカロイドは?』という質問に『wowaka』さんのお名前だけをあげていらっしゃいます。
VOCALOID(ボーカロイド)プレーヤーの『ハチ』(米津玄師さん)、『DECO*27』さん、『wowaka』の3人がボカロ(ボーカロイド)初期に『御三家』と呼ばれ、名曲を世に生み出しました。
『wowaka』さんは、ボカロP(ボーカロイド・プレーヤー)以外に、バンド『ヒトリエ』でも活躍。なんと「wowaka」さんは『東京大学卒業!』の高学歴でもあります。母校で講演をする事などもあったそうです。
米津玄師「紅白に出ない理由(ワケ)」?!wowakaは病死?
「wowaka(ヲワカ)」さんは、今年の春若干「31歳」で亡くなりました。その死因は『急性心不全』と公式発表もされています。 西城秀樹さんも直接の死因は「急性心不全」だったそうです。よく聞かれる事もある『急性心不全』とは、一体どの様な症状をいうのでしょう。
心不全は病名だと思っている人が少なくありませんが、実は病名ではなく、心臓の働きが不十分な結果、起きた体の状態のことをいいます。
心臓病を持っていない人で急に心臓の働きが低下して心不全症状が出た場合を「急性心不全」といいます。
(引用元:http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/heart/pamph53.html#anchor)急性心不全の症状として下記のような症状などが挙げられます。
胸部の痛み 激しい呼吸困難 咳き込み 圧迫感 心拍数の増加 腹部の膨満 冷や汗、顔皮膚蒼白 腹水 チアノーゼ 意識障害 血圧低下 動機
「wowaka(ヲワカ)」さんは、以前から闘病されていたという情報はありません。、「急性心不全の原因」としてよく言われるのは、「・風邪・過労・ストレス・薬の中断・高血圧の放置・お酒の飲みすぎ?」などが原因ではないかと言われています。
「wowaka(ヲワカ)」さんは、亡くなる数日前、ライブ活動をされていたそうでまさに本人さえも予想しなかった事が起こった思われます。
まとめ、米津玄師「紅白に出ない理由(ワケ)」?!wowaka(ヲワカ)追悼が真実?!
米津玄師さんは、10日更新の自身のブログで、
wowakaさんと出会ったのは10年くらい前のニコニコ動画だった。当時の自分からすると今まで聴いたことのない音楽を作る人だった。恐らく誰しもがそう感じてたと思う。ほとんど同じ時期に投稿し始めたこともあって、彼にだけは負けたくないと勝手にライバル視していた。それ以上に尊敬していたし、多大な影響を受けた
と出会った当時を思い出されたそうです。 また、米津玄師さんはwowakaさんと週に2、3回は飲みに行くほど親交が深く、あまりも急な親友の死に更に以下の様に綴られています。
なんとかできなかったのかな、と今も考える。恐らくこれからずっと考え続ける気がする。ハチくーんっつってそこの扉から入ってきてほしいと今でも思ってる。
僕にとって彼はライバルであり、親友であり、どこか兄のようでもあった。でも亡くした。今は虚しいけど、それも時間が攫って行くんだろうなと思う。
結局免許取りに行けなかったし海にも行けなかったですね。一緒にいて楽しかったですよ。ばいばいまたのんましょーね
引用:米津玄師さん、10日更新のブログ
お二人は活動を始められた時期も同時期で、お互いに影響を受けていたのでしょうね。今回の「紅白歌合戦」に出場しないというのは『親友の喪』に服すというより、テレビの様なきらびやかな舞台に立つ気がしないというのが本音ではないでしょうか?
才能あるwowaka(ヲワカ)さんの死は本当に残念です。 wowaka(ヲワカ)さんのご冥福をお祈りいたします。
最後までお読みいただき有難うございました。
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