なぜ中国の若者たちは「結婚しない・子どもを持たない」選択をするのか?その背景にある深刻な現実とは
こんにちは。今回は、近年の中国社会で広がりを見せている「4なしライフスタイル」について深く掘り下げていきたいと思います。この言葉が指すのは「結婚しない、子どもを持たない、家を買わない、車を持たない」という生き方です。特に都市部の若者たちの間で、このライフスタイルを選ぶ人が急増しているといいます。
一体なぜ、これほどまでに多くの若者が「家庭を持つ」ことを避けるようになったのでしょうか?
「子どもは欲しくない」と語る若者たちの本音
ある中国の人気ブロガーが女性に「将来、子どもを持ちたいと思いますか?」と尋ねた際、彼女はこう即答しました。
「いいえ、望んでいません。子どもを産むことはできても、きちんと育てられる自信がありません。」
また別の若者は、「子どもを持つということ自体に非常に大きなプレッシャーを感じており、理想的な子どもの数は“ゼロ”だ」と明言。SNSでは、こうした率直な想いや葛藤が赤裸々に語られる動画が数多く投稿されており、「お金がない、本当に余裕がない」という切実な声があふれています。
あるユーザーは、「もし私の子どもが私の貧しさと苦しみを受け継ぐだけだとしたら、子どもを持たないことが愛情のかたちではないか」と話しています。
これは単なる個人的な思想やライフスタイルの問題ではなく、社会全体の構造的な問題が背景にあるのです。
子育てにかかる莫大な費用と住宅問題
たとえば、2024年に発表された中国の「子育てコスト報告書」によれば、子ども1人を0歳から17歳まで育てるのにかかる平均費用はおよそ68万元、日本円で約1,400万円にのぼります。北京や上海といった大都市ではこの2倍近い額に膨れ上がると言われており、それはあくまでも“控えめな見積もり”にすぎません。
さらに教育費だけではなく、子どもが結婚する際には「結納金」や住宅購入のための援助など、親にのしかかる経済的負担は終わることがありません。
そして最も深刻なのが「住宅問題」です。平均収入が月に4,000元(約8万円)程度である一方、家を購入するためには80万元(約1,600万円)ものローンを組まなければならないことも珍しくありません。そのローンを返済しながら生活するには月々の支出を極限まで切り詰めなければならず、手元に残るのはほんのわずかな生活費。こんな生活の中で、安心して子どもを育てることなどできるはずがありません。
実際、近年中国では「未完成住宅」が社会問題化しており、購入者が全財産を投じて手にしたのは鉄筋だけの建物というケースも多発しています。電気・水道が通っていない建物に住み、仮設の電線で暖をとるような生活を余儀なくされる人々の姿が、その深刻さを物語っています。
不安定な雇用と収入格差が追い討ちをかける
住宅問題と並んで、若者たちを苦しめているのが「不安定な雇用状況」です。
高学歴でも安定した職を得るのが困難で、就職できたとしても労働時間は長く、報酬は低い。とくに「朝9時から夜9時まで週6日働く」ことを意味する「996勤務」が常態化している職場では、少しの油断で職を失うリスクと常に隣り合わせです。
さらに、国有企業でさえもリストラが行われるほどの不安定さがある中、若者たちは「自分の生活すら維持できない」と感じており、結婚や子育てどころではないのが現実です。
子どもを持たない選択は「絶望」ではなく「愛」
中国の合計特殊出生率は2024年に1.01〜1.15という過去最低水準に落ち込み、人口減少が加速しています。これは「超低出生率の罠」とも呼ばれ、一度この状態に陥ると政府がどれだけ支援政策を打ち出しても状況を逆転させるのが困難だと言われています。
政府は2021年に「三人っ子政策」を打ち出し、2025年からは一部地域で育児手当も導入されましたが、全国規模での実施には至っておらず、補助金の額も子育てコストに比べればごくわずかです。
たとえば3人の子どもを育てるのに約4000万円がかかるとされる中、最大でも44万円程度の補助しか受けられないのが現実。若者たちはこうした「焼け石に水」のような政策を冷ややかに受け止めています。
ある若者はこう語りました。
「私の最大の親としての愛情は、このひどい世界に我が子を生み出さないことです。」
この言葉は、ただの絶望や放棄ではありません。むしろ、子どもを持つことが“愛”だというこれまでの価値観を、根底から問い直す深いメッセージなのです。
未来を選べない若者たちに、私たちは何ができるのか
中国の若者たちが結婚や子どもを持たない選択をしているのは、決して「わがまま」や「無責任」からではありません。そこには構造的な貧困、住宅や医療、教育に関する制度的な問題、そして社会全体に漂う閉塞感が存在しています。
彼らが選んだ「4なしライフスタイル」は、現代社会のひずみが生んだ“生き方”の一つの表れなのです。
私たちは、こうした現実を「若者のせい」にするのではなく、社会の在り方そのものを見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
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